線は点の集まり

 ぼくはいろいろ夢を見る。しあわせな夢から、怖い夢まで。ノンストップで続く不連続な映像という名の点の集まりは、ジェットコースターが所々断線しているレールの上を走るみたいに、ぼくの頭の中を駆け巡る。
 昨日見たぼくの見た怖い夢の中のひとつに、変なものがあった。どこが怖いのかはわからないけれど、それは本能的に怖かった。以前見たコンタクトレンズをつけっぱなしにしていて、目に張り付いている、どうしようというスレをベースにされていて、ぼくの目にコンタクトレンズのような、薄い何かが張り付いていて、ぼくがそれをゆっくりと剥がす、そういう夢だった。ほんの少しの夢であったのに、ものすごく怖かった。別にコンタクトレンズのような何かだけが剥がれて、何も剥離していないのに。目の白い部分も一緒に剥げてしまった気がした。まるで、これはぼく自身を示しているように思えた。
 人は何かのフィルターを通して物事を見ることが多い。それはしょうがないことで、自分の考えや事前に得た他者からの情報などを、ぼくらは無意識のうちにフィルター化してしまう。実際、そういう先入観というのは悪いことではない。怖い顔をした人を見かけたら、怖そうだな、と思ったり。人からあのお店おいしくないよ、と言われて食べに行かないようにするとか。それなりに当たり前のことだとぼくは思う。
 だけれど、少なくともぼくはできる限りそういう風に先入観を持たないようにしたいと思っている。これが、ぼくなりの方針なのだ。先入観を持ってしまうと、その時点でその情報は、ぼくの中で定義付けが行われ、絶対的なものになってしまう可能性が高いからだ。ぼくの目で直接見て、判断したい。判断するべきなのだ、と。過去の出来事から、ぼくはそう思う風になって今に至る。
 けれど、ぼくはぼく自身の手で、そういうコンタクトレンズみたいなものを作ることがある。被害妄想とか、思い込みで。それがぼくは嫌だ。けれど、いつも気づくのはコンタクトレンズを指摘されたときで、すべては後の祭りになっている。
 自己矛盾を抱えたぼくは、ぼく自身が不連続なぼくで構成された人生を歩んでいく。